田島の子守地蔵と消えた山伏専亮坊
どんな伝承か
青海川の行人堂の堂守を伝える文書には、享保十年に円海が世を去ったあと、一時は山室の専蔵院が堂守をしていたとある。山室に専蔵院があったかは確かでないが、伝説「田島の子守地蔵」にはある日姿を消した山伏の名が出てくるといい、田島には大沢の真言宗豊山派福寿院にゆかりのある専亮坊と呼ぶ山伏がいたと伝えられている。専蔵院のほうは元文のころに行人堂の堂守を務めていたというが、いつしかどこへともなく姿を消し、その後は多聞寺の心海が堂守になったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信(柏崎市(編)・柏崎市史)
『柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信』は、柏崎市史の資料集として編まれた民俗篇のうち、第四章「文化伝承」の信仰にかかわる部分を収める。柏崎市域のムラの神社とまつり、雨乞い・虫送りなどの祈願、家の神と屋敷神、民間小祠と路傍の石仏、寺と行事、修験、庚申講や米山講などの講を、聞き書きと「白川風土記」「神社明細帳」などの記録から記す。第六節「俗信」では予兆・占い・禁忌を分類して列挙し、昭和五十八年の熱田神社の年占の結果も載せる。