大本から心霊研究へ進んだ浅野和三郎
どんな伝承か
浅野和三郎は明治六年に茨城県稲敷郡源清田村の医師の家に生まれ、東京帝国大学を出て横須賀の海軍機関学校で英語を教えた。大正四年夏、子の病を女行者に言い当てられたことから霊に関心を抱き、翌年綾部の大本を訪ねて出口ナオに会い、同年一二月には職を辞して綾部へ移った。機関誌『神霊界』の編集を任され、自分は憑依をほとんど起こさなかったが、審神者として相手に憑霊を起こさせる力に長けていた。大正一四年に大本を離れてからは心霊科学研究会を拠点に霊媒の発掘と養成に力を注ぎ、昭和一二年に没した。その流れは日本心霊科学協会へと続いている。
原典より
それは彼が、この行法のいわば第一目的である憑霊現象を、自らはほとんど呈したことがないということである。—— 鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学)
『鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論』は、津城寛文が著し、春秋社から刊行された宗教学の研究書である。本田親徳・出口王仁三郎・浅野和三郎・友清歓真・川面凡児・田中治吾平・宮地水位など、近代以降の神道界とその周辺に現れた鎮魂行法家の系譜をたどり、その鎮魂帰神説や霊魂観をシャーマニズム研究の観点から整理する。序章と全七章からなり、第一章で行法家の群像を描き、第七章では「宗教的身体境界」の考え方によって鎮魂行法を類型化する。