鉦を打ちつつ生き入定した道安の塚
どんな伝承か
下大久保の道ヶ谷戸に、入定塚と呼ばれる塚がある。この土地に暮らす細沼家の系図によれば、同家の先祖の道安(俗名は鷺坂三重良利貞)が康元元年の四月八日に生きたまま入定し、穴の中で息絶える間際まで鉦を打ち鳴らしていたという。この塚は行人塚、あるいは道安塚の名でも呼ばれている。
原典より
この地に住む細沼家の系図によると同家の先祖道安(俗名鷺坂三重良利貞)が、康元元年(一二五六)四月八日、生き入定し、穴の中で死のまぎわまて鉦を打っていたという。—— 浦和市史 民俗編――伝説(浦和市(編)・浦和市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
浦和市史 民俗編――伝説(浦和市(編)・浦和市史)
『浦和市史 民俗編――伝説』は、浦和市史の民俗編のうち、第十章「伝説」を収めた部分である。調神社の片目の鯉や兎を飼わない言い伝え、日蓮上人の駒つなぎのケヤキ、見沼の竜神や笛、別所沼の大蛇、地名や塚の由来、特定の作物や弓矢を忌む家の言い伝えなど、市内に伝わる伝説を集める。旧市部から西浦和まで地区別に節を立て、見沼の伝説は一節にまとめ、章の初めに『埼玉県伝説集成』などの引用文献を掲げ、話のあとに▽印で異説や由来を補う。