義家が栗百石を借りた田部の借用証
どんな伝承か
安倍の残党を追って田部へやって来た義家は、ここで兵糧が尽きたので、部落から栗を借りたという。かつてその借用証が田部に伝わっていたそうだが、いつのころからか外部へ買い取られていまは無いという。文面は「今度サタトウセメニ付夫食フソクニ候間栗百石借用致シ候」とあり、康平二年寅八月九日、八幡太郎義家の判で、奥州会津田部村の湯田小太郎に宛てたものであった。田島町郷土誌稿はこれを会津鑑の記事として引き、さらに会津鑑は源義経が会津油田村惣平に宛てた粮米七斗の借用書も引いているという。
原典より
安倍の残党を追って田部へやって来た義家は、ここで兵糧が尽きたので、部落から栗を借りたという。—— 田島町史 第4巻(民俗篇)――伝説(田島町(編)・田島町史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
田島町史 第4巻(民俗篇)――伝説(田島町(編)・田島町史・自治体史(民俗))
『田島町史 第4巻(民俗篇)』第二節所収の伝説。福島県田島町(南会津)に伝わる自然・歴史・神仏・池淵・幽霊・妖怪の伝説を採録する。