憑きもの落としで知られる最上稲荷
どんな伝承か
西国で豊川稲荷に並ぶほど名の知れた吒枳尼天は、岡山県吉備郡高松町にある最上稲荷で、本来は日蓮宗の稲荷山妙教寺を守る鎮守である。寺伝では延暦四年に報恩大師の発願で竜王山神宮寺として開かれ、初めは天台宗だったが、たびたび兵火にかかり、羽柴秀吉の高松城水攻めで古い記録を失った。慶長六年に日円上人が法華の道場として立て直して妙教寺と号し、不受不施派として熱い信仰を集めた。信者は新潟を除くほぼ全国に広がり、分院は百二十か所ほど、境内には七十七末社がある。籠る者や祈禱を頼む者が多く、憑きもの落としも盛んで、とりわけ島根県から来る参詣者にそれが多いという。
原典より
憑きもの落としももちろん多く、特に島根県からの参詣者の中にそれが多いということである。—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。