庄屋山根与右衛門の『出雲国内人狐物語』
どんな伝承か
出雲・伯耆地方では、憑きものの研究がどこよりも早くから始まっている。天明六年丙子十一月朔日、神門郡中野邨の庄屋、山根与右衛門源祐時が『出雲国内人狐物語』と題する一本を脱稿した。これは出雲国内はもとより全国的にも、この方面の専門書の先駆をなすものと見られている。中折二十一枚綴の木版本で全文九章から成り、著者が愚者をさとすために書いたものだといい、流布したのは外孫の西山沙保が校閲・出版した文化六年以後のことである。第一に「狐持始りの事」として、享保の初め頃、東郡のある富有な家に対し、名子・間脇の一人が恨みを抱いて、あの家は狐持ちだと言い出したのが濫觴だと記している。
原典より
天明六年丙子十一月朔日、神門郡中野邨の庄屋山根与右衛門源祐時が、『出雲国内人狐物語』と題する一本を脱稿しているが、これがけだし、出雲国内においてはもとより、全国的にもこの方面の専門書の先駆をなすものではあるまいかと思う。—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。