高山旧地に建った稲荷山心月寺
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どんな伝承か
高山の世継として生まれた禅司房は、父母の菩提を弔うため国を出て都に上り、法橋阿闍梨の弟子となって名を素心と改めた。十四年の間坐禅に身を寄せ、建治二年の秋、父の菩提を弔おうと帰国する。帰依する者が多かったのでついに一寺の建立となり、高山の旧地に堂塔伽藍を建てて稲荷山顕正寺と号し、素心和尚の開基による道場となった。しかし時勢が変わって寺跡は廃絶し、礎石だけが残った。数百年の後、慶長二年二月に正法寺の法嗣深窓田茂禅師が再興し、稲荷山心月寺と改めて曹洞の道場となったという。
原典より
木を食ふ虫は木より生じ、終其木を枯すとかや、世に名も高き高山も妻の邪心の毒は染み一時に朽果けるは哀なり。—— 胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史・自治体史(民俗))
岩手県胆沢町の伝説・昔話を網羅する。第一節は高山掃部長者と松浦佐用姫の物語で、薬師如来本地松浦佐夜姫誕生記、高山掃部長者竹生嶋弁財天胆沢物語、『南部叢書』所載の奥州胆沢高山実伝(高山稲荷の由来、嘉門長者の妻が嫉妬で大蛇に化し止々井の大堤に隠れて人を害し、美女を牲に供える年番が定められ、遠州小夜の中山から小夜姫が身売りして奥州に下り、牲に上るが神明仏陀の冥助で害を免れ大蛇の骨角を埋葬、潟岸薬師・諏訪明神を祀る)など複数の版と考証を収める。
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