芦が片葉になった池
どんな伝承か
源義家は陸奥の乱を鎮め、安倍貞任を厨川の柵に討ち果たして都へ帰る途中、名馬香月に乗って今の小山柴山にさしかかった。路傍に周囲二十間ばかりの池があり、水面に芦が映って静まりかえっていた。義家は香月をねぎらってこの池の水を飲ませ、馬が頭を上げて高く嘶いたとき、馬上から池に向かって、自分に鎮守府将軍としての徳があるなら来年から池の芦はことごとく片葉になるであろうと言い残した。翌年から池の芦はみな片葉になったという。池は大方埋まり、柴山の元東堀切小学校前の田圃が片葉の清水だと伝えられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史)
『胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説』は、胆沢町の町史民俗編の一冊のうち、第四章「口承・伝説」を収めたものである。第一節は松浦佐用姫と高山掃部長者の伝説を扱い、胆沢・水沢周辺の伝説地を列挙したうえで、町内に伝わる佐夜姫の本地物の写本や『南部叢書』所載の「奥州胆沢高山実伝」を翻刻する。第二節「いさわの昔話」は大蛇・狐・むじな・飢饉・戦後の怪異などの話を番号順に並べ、第三節「いろいろな昔話」へと続く。