十八年を待った水沢の敵討
どんな伝承か
水沢城主伊達吉之助の家中で、佐藤新兵衛が酒席の争いから小沢源太左衛門を斬り殺して逐電した。菩提所である増長寺の和尚が内済に取りはからい、源太左衛門は病死とされ、家督は嘉吉が継いで嘉右衛門と改めた。嘉右衛門は臆病者と笑われながら十八年、覚悟の書付を守袋に入れて時を待った。天明元年極月の市日、社参の帰りに新兵衛らしい者を見かけて跡を追い、寺脇の吉祥寺広場で追いつき、来国光の刀で討ち果たした。仙台からの検使が事情を調べ、死骸は二十日の夜に増長寺の境内に土葬されたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史)
『胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説』は、胆沢町の町史民俗編の一冊のうち、第四章「口承・伝説」を収めたものである。第一節は松浦佐用姫と高山掃部長者の伝説を扱い、胆沢・水沢周辺の伝説地を列挙したうえで、町内に伝わる佐夜姫の本地物の写本や『南部叢書』所載の「奥州胆沢高山実伝」を翻刻する。第二節「いさわの昔話」は大蛇・狐・むじな・飢饉・戦後の怪異などの話を番号順に並べ、第三節「いろいろな昔話」へと続く。