厳しい借金取り立てを恨んだ狐持ち指定
どんな伝承か
簸川郡の今市町では、町の人々がいまなお狐持ちを固く信じており、このあたりでは弘法大師の信者が祈禱をするという。今市から一里ほどの所にある寺の坊主が、もうけ目当てに狐払いの祈禱を広めている元だともいわれる。今市の東一里ほどの某村では、昔、ある財産家を狐持ちだと決めつけた者がいたが、わけを調べてみると、その家の借金の取り立てがあまりに厳しかったのを恨んだためだったという。
原典より
今市の東一里ばかりの某村では、昔、ある財産家を狐持ちだと刻印づけた人がいたが、その原因を調べてみると全く借金催促の余りにもきびしかつたのを恨んだ結果であつたという。—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。