木次屋と喜十
どんな伝承か
田中家の祖先は尼子の臣で、毛利に敗れてから帰農し大原郡佐世村に居を構えた。七代目の田中喜十は若い時から才物で、屋台骨のぐらついていた加茂村の豪商木次屋が明和の初めに招いて大番頭に重用した。喜十は佐世村を引き払って加茂村へ移り、屋号を田中屋として主家の権力を笠に腕をふるう。木次屋はもと木次の出で元禄の頃に加茂へ来住した一介の麻布買いにすぎなかったが、高利貸で稼いで大土地所有者となり、松江藩に献金して郡役人となり木村弥三左衛門元儀と改名した。子の直安も宝暦一二年に藩の小算用格となり徴税代行権を得たが、朝日丹波の反動政策で役職と特権を失った。
原典より
田中家の祖先は尼子の臣で、毛利に敗れてから帰農し、大原郡佐世村に居を構えた。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。