誓約書を取られた宇賀村
どんな伝承か
宇賀村の前原屋万蔵が出した訴状は、村役人と大庄屋を経て島前の代官所へ届いた。吟味の末、松江藩がすでに出していた人狐など無いとする触書にのっとり、代官所は説諭の書を発する。宇賀村では頭百姓十名と組頭九名が名を連ね、今後いっさい人狐のことを口にしないという誓約書を取られた。祈禱をした社寺からは請書が取られ、社家の宇野大和は謝罪文と念書まで書かされている。文書の上では万蔵の勝ちだが、実際には前原屋一門への排斥はかえって強まり、狐持ちが確定していったという。
原典より
さて、訴状の結果であるが、前原屋万蔵の訴状は村役人と大庄屋を経て、島前代官所に提出された。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。