松江藩の祈禱師厳罰
どんな伝承か
松江藩とその分家広瀬藩は、人狐祈禱を制限・禁止すれば狐持ち迷信を打破できると考えた。寛政三年、松江藩は第一の寄生地主山本惣右衛門の要請に応え、郡奉行岩佐文左衛門名で「人狐無之儀触書」を郷中一円に発布した。神門郡二部村の狐憑き一件を裁いて、山伏教法院を脱衣入牢のうえ死罪に処し、郷民には妄説に迷う者を訴え出よと厳しく説諭した。寺社家や山伏にも人狐祈禱を一切禁じ、違背には厳罰を科した。
原典より
松江藩とその分家広瀬藩とは、人狐祈禱を制限したり、禁止さえすれば、狐持ち迷信は打破できるものと考えたらしい。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。