上来原村を追われた邪気持ちと焼かれた空き家
どんな伝承か
万延元年十一月、石見国浜田藩の上来原の庄屋が、村内の邪気持ち(狐持ちと同義語)を村から追放する退去命令を出してよいかを代官に伺い出た。村方一統から、邪気持ち一派の実太・政平・卯平・磯助・源蔵の五人を家族ごと立ち退かせたいとの申し出があったという。邪気持ち側は吉田様への再度の祈祷を願って猶予を求めたが、村方は前の祈祷に効き目がなかったとして待たなかった。上役は佐田十助・山本泰蔵を派遣して再吟味させ、許可が下りたものか、源蔵を除く実太ら四人は住み慣れた村を去り、空家は村人が火を放って焼き払った。
原典より
万延元年(一八六〇年)十一月、石見国上来原の庄屋が、其の地の代官に、村内の邪気持ち(狐持ちと同義語)を、村から追放する退去命令を出してよいかを伺い出た古文書があります。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。