明治の還住を拒まれた上来原村の邪気持ち
どんな伝承か
明治四年四月、維新政府の還住許可によって、万延元年に上来原村を追われた邪気持ちの実太・政平・卯平らが、望郷の念にかられて村へ帰り住もうとした。だが上来原の庄屋は、村内の平和が乱される恐れがあるとして、久佐組御出張所へ内々の口上書を差し出し、彼らが心底を相改めたとはいえ村民がそのたたりを恐れて安心しないから、帰住の儀は取り止めてほしいと願い出た。磯助は引っ越し後に死去しており、実太以下三人は明治になっても故郷の村へ帰ることができなかったようだという。
原典より
ところが、このたび、格別の御思召によつて、右の者達を、元の村へ御返えしになるとの御こと、実は、先般、彼等が当村に居住していたとき、多くの人々に邪気を差し向けたため、…—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。