人柱に代えて埋めた百万一心の石
どんな伝承か
毛利元就がまだ松寿丸と呼ばれていた永正五年の夏、宮島の管弦祭に詣でた帰りに、「返してよ」と泣き叫ぶ幼い少女に出会った。巡礼の途中、隣国の城の改築で母を人柱に取られたのだという。哀れんだ松寿丸は少女を猿掛城へ連れ帰った。大永三年に郡山城を継いだ元就が城を大きく広げることになると、本丸の石垣が何度積んでも崩れ、人柱を立てる話が持ち上がって、選ばれたのがあの少女だった。少女は恩を返せると喜んだが、元就は許さず、翌朝「百万一心」と書いた紙を奉行に渡し、これを石に刻んで人柱の代わりとせよ、城を守るのは人の和だと諭したと伝わる。
原典より
その翌朝奉行に渡されたのが百万一心と大きく書かれた紙であった。—— 高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史)
『高田郡史 民俗編――伝説』は、広島県高田郡の郡史の民俗編のうち、伝説の部である。吉田町・美土里町・甲田町・八千代町・高宮町・白木町などに伝わる八岐大蛇退治、毛利元就の百万一心、弘法大師のいろは石、つきものを落とすというはりいぶきの枯木などの話を、土地ごとに取り上げる。多くの話に、かつて村々から提出された「国郡志下調書出帳」の該当記事を原文のまま並べ、古い記録と今の語りとを照らし合わせている。