竹べらで掘らせた飢饉救いの池
どんな伝承か
吉田町の新町の裏手に、へらほりの池と呼ばれた池があった。寛文から延宝のころ、吉田町の旧家の河野与三郎は、飢饉に苦しむ農民を救おうと、困窮した人々を雇って庭園を造らせた。泉水を掘るのに鍬や鋤は使わせず、すべて竹のへらで掘らせ、直径二十センチほどの小ざる一杯ごとに七文を払った。そのざるを今も七文てんぎりと呼ぶ。女や子どもも分け隔てなく、なるべく長い日数をかけて大勢を雇い、ただで施すのでなく働いた報酬として与えたところに工夫があった。おかげで飢饉の年を越せた里人は恩を感じ、竹野屋のへらほりの池とたたえたという。
原典より
その方法は泉水を築くのに鍬や鋤をつかわせずすべて竹篦で掘らせ、径二十センチ位の小ざるで一杯掘ると七文やるということにした。—— 高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史)
『高田郡史 民俗編――伝説』は、広島県高田郡の郡史の民俗編のうち、伝説の部である。吉田町・美土里町・甲田町・八千代町・高宮町・白木町などに伝わる八岐大蛇退治、毛利元就の百万一心、弘法大師のいろは石、つきものを落とすというはりいぶきの枯木などの話を、土地ごとに取り上げる。多くの話に、かつて村々から提出された「国郡志下調書出帳」の該当記事を原文のまま並べ、古い記録と今の語りとを照らし合わせている。