武装兵が見張った本宮山神殿の取り壊し
どんな伝承か
一九二一年十月、第一審で王仁三郎に不敬罪の最高刑が言い渡されると、その翌日、当局は京都府庁で王仁三郎に綾部の本宮山神殿を取り壊すよう告げた。神殿はその年の八月に完成したばかりの神明造りの壮大な社で、総工費は六十万円にのぼった。伊勢神宮の正殿や宮中の賢所と同じ造りであったことが、当局には天皇の宗教的権威への挑戦と映ったのである。取り壊しは十月二十日に始まり、費用は国が持ち、京都の大丸組が七百五十円で請け負った。作業は警官や在郷軍人に加え、福知山と篠山の連隊から送られた武装兵に見張られながら進められた。
原典より
一九二一年(大正十)十月二十日、本宮山神殿の破壊がはじまった。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年))
『出口王仁三郎』は、村上重良が昭和四十八年に著した大本教の指導者出口王仁三郎の評伝である。丹波穴太村の小作農の家に生まれた上田喜三郎の生い立ちと修行から、出口直との出会いと大本教の拡大、大正維新と不敬事件、『霊界物語』の口述や入蒙、昭和神聖会と大弾圧、法廷での闘い、晩年までをたどる。「故山の夢」「道の大本」「人類愛善」の三章に分けて叙述し、巻末に略年譜と参考文献を付す。