在郷軍人が囲んだ本宮山神殿の破壊
どんな伝承か
大正十年八月に完成した本宮山の神殿は、当局の破却命令によって十月二十日から実際に取り壊された。警官が山の周りを固めて厳しく警戒し、五十人余りの人夫が斧やつるはし、掛矢などを手に片端から壊していった。新聞によれば三千五百人の在郷軍人が付近を練り歩き、信者が手出しできないよう威圧した。神殿は念入りに建てられていたため破壊ははかどらず、終わったのは十月二十七日であった。その間、福知山の工兵大隊や篠山の歩兵連隊からも一個中隊ずつが近くに控え、京都の憲兵隊からは私服が送り込まれ、警察部長には護衛までついたという。
原典より
警官が本宮山の周辺を固めて厳重警戒し、人夫五十余人が斧、ツルハシ、金ヅチ、掛矢、玄能、ハシゴなどを用意して、命令一下手あたりしだいに破壊していった。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。