切紙が示した神殿破壊の日
どんな伝承か
第一次事件の後、大正十年十月十一日に京都府庁へ呼び出された王仁三郎は、綾部の本宮山神殿を信者の手で壊せと命じられたが、情において忍びないとして当局の手で壊すよう求めた。十月二十日、当局は完成したばかりの神明造りの神殿の取り壊しに着手した。ところがその十か月前、機関誌『神霊界』大正十年一月号で王仁三郎は、半紙を折って一度だけ鋏を入れ文字を作る切紙宣伝を紹介し、官憲と大本の二大勢力がぶつかるのは大正十年旧九月二十日午後一時と出る、と書き添えていた。十月二十日はちょうど旧暦九月二十日にあたっていたという。
原典より
本宮山神殿の破壊が十月二十日(旧九月二十日)であるからまことに妙である。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。