ご神体のなかった本宮山の神殿
どんな伝承か
大正十年十月十一日、京都府庁に呼び出された王仁三郎は、綾部の本宮山の神殿を信者の手で取り壊せと命じられた。王仁三郎は、信者に壊させるのは情において忍びないので、お上の手で壊してほしいと拒んだ。十月二十日、当局は破壊工事に取りかかった。神明造りの神殿はその年の七月に、拝殿は八月に完成したばかりで、信者の真心の結晶である六十万円もの費用が注がれていた。ところが、壊された神殿には本当のご神体は祀られておらず、ひもろぎがあるだけだったという。王仁三郎は神示によってこの日を見越していたのだろうと著者は書いている。
原典より
しかし、破壊された神殿には真正のご神体が奉安してあったのではなく、ヒモロギだけだったという。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。