神職試験に一番で受かり建勲神社へ
どんな伝承か
皇典講究分所を卒業した王仁三郎は、一九〇七年四月八日から三日間行われた京都府の神職尋常試験に第一号で受かり、成績のよさから三等司業を授かった。翌月には織田信長を祀る京都の別格官幣社、建勲神社の主典に任じられる。けれども神職のかたわら信者の家を回って説教を続け、教えを受けた人々が神社へしきりに訪ねてきたため、宮司から官幣社の尊厳を傷つけると叱られた。居づらくなった王仁三郎は十二月に職を辞し、伏見稲荷山の御岳教西部教庁の主事に移った。
原典より
王仁三郎は、これに第一号で合格して神職の資格を得て、その好成績から三等司業を授けられた。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年))
『出口王仁三郎』は、村上重良が昭和四十八年に著した大本教の指導者出口王仁三郎の評伝である。丹波穴太村の小作農の家に生まれた上田喜三郎の生い立ちと修行から、出口直との出会いと大本教の拡大、大正維新と不敬事件、『霊界物語』の口述や入蒙、昭和神聖会と大弾圧、法廷での闘い、晩年までをたどる。「故山の夢」「道の大本」「人類愛善」の三章に分けて叙述し、巻末に略年譜と参考文献を付す。