教祖の死を予告し号泣した王仁三郎
どんな伝承か
大正七年の元旦、年祝いの席で王仁三郎は信者の梅田安子に、教祖の体は今年中だと告げて震え上がらせた。七月、ナオは王仁三郎に、もう筆先は書かなくてよいと神さまが言う、あとの立直しは先生の役目だと語った。十一月の秋の大祭を休み、五日には夕拝にも出ず、明日からは先生がなさるとぽつりと漏らした。六日、三女ひさの差し出した水をおいしそうに飲み、手洗いから戻る途中で崩れるように倒れた。信者たちは金神さまが体を離れただけだと祝詞を上げたが、王仁三郎だけは死期を悟って危篤の電報を打たせた。ナオはその夜八十三歳で世を去り、王仁三郎は自室で辺りかまわず号泣したという。
原典より
「お安さん。教祖はんのおからだは、今年中や。びっくりするなよ」—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。