摩利支天を掘り出した太田のこうの門松
どんな伝承か
北設楽郡稲橋村の押山にある峯山の集落では、今も正月の門松にこうの枝を立てる。昔この集落を開いた太田某という郷士が武田信玄に追われ、信心する摩利支天の像だけを背負って逃げたが、身に危険が迫ったので像をきちごう畑に隠し、ようやく信濃へ逃げ延びた。十三年ののち世が静まったのを見て峯山へ帰り着いたのが十二月二十八日のこと。さっそく像を掘り出し、屋敷跡の草を刈って小さな社を建てて祀った。年末年始もない忙しさで門松を切る暇もなく、盛り砂にありあわせのこうの枝を立てるのがやっとだった。そのため峯山の門松はこうの枝となって今日まで続いているという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
愛知県伝説集(福田祥男・1961年(昭和36年))
『愛知県伝説集』は、福田祥男が昭和三十六年に著した愛知県の伝説集である。尾張・三河の山や海、淵や池、地蔵と観音、石や塚、城跡、地名、動物と変化、植物、祟りと怨霊などにまつわる言い伝えを、原型に忠実に再現することをめざして平易な文で語り直し、話の末に郡市名を添える。山の伝説から其の他の伝説まで十五の部に分け、あとがきでは前年に出した『愛知県伝説集・虹と黒潮』を全面的に改稿し増補したと記す。