上人の入定を伝える要海松
どんな伝承か
昔、要海上人という偉い高野聖が三代に巡錫してきて、白河街道の西南に草庵を結び、民衆の教化につくしていた。年老いた上人は、生きながら境内に葬り、墓印として松を植えてほしいと信徒に頼んだ。里人が涙ながらに埋葬すると、三七二十一日のあいだ、地下からかすかに読経の声と鉦の音が伝わって聞こえていたが、その後はぷっつりと消え絶えたという。のちに、中の入の人が三代部落へ買物に出て、狐にだまされて廻された末、家に着いたつもりで油瓶をつるしたところ、それは要海松の節であった。そのため松は自然に枯れ、その人もそこで寝込んで凍え死んだと伝える。今は畑に耕され、松のあった場所ははっきりしない。
原典より
昔、要海上人という偉い高野聖が、三代に巡錫してきて、白河街道の西南に草庵を結び、民衆の教化につくしていた。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。