千と七年と答えた婆さんの大杉
どんな伝承か
湖南町館の御札神社の話である。昔この地は霧雨と低い雲に覆われて嵐が続き、五穀が実らず人々は困った。巡錫してきた弘法大師が磐梯山の上に護摩壇を設け、湖水の四方固めとして四体の幣を風に任せて吹き飛ばすと、その一体が横沢の麓山の下の大松にかかった。これを嵐除けとして祀ってからは五穀が実ったという。のち伊東氏の築城で鬼門へ遷され、二本松藩主の丹羽右京太夫が再建して山之内五箇村の総鎮守となった。大杉の樹齢を丹羽公に問われた役人は困り、館村のオフデという婆に頼んだ。婆は臆せず千と七年になりましたと答え、枝が地に垂れて千年、ついてから七年目だと説いた。公は笑って褒美を与え、杉に北辰明神の尊号を贈ったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。