生きたまま穴に入った穴入り坊様
どんな伝承か
慶長の昔、多田野の普門山勝音寺は堀口部落の普門山の中腹にあったが、寛永二十年に現在の多田野本郷へ移されたという。堀口にあったころ、洞雲全竜という和尚がいた。動機は分からないが、堀口の古い墓地に穴を掘って自ら中に入り、息をつける竹の棒だけを出して土をかけてもらい、人々が差し入れる干し柿を食べて生きていた。穴からは読経の声が響いていたが、やがて静かになって入寂し、以来この僧を穴入り坊様と呼ぶようになったという。また堀口の北を流れる逢瀬川で、夜川に入った百姓の網に古い観音像がかかり、寺に寄進されて本尊となった。像が上がった淵を仏渕と呼ぶ。
原典より
慶長の昔、多田野の普門山勝音寺は、堀口部落の普門山の中腹にあった。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。