願がかなう地蔵田と飯塚道
どんな伝承か
富久山町久保田の東、現在のセメント工場の西は小高い丘で、昔そこに慶正寺という天台宗の寺があったという。古くから多くの碑が並んでいたが、次々に阿弥陀寺へ運ばれ、今は見られなくなった。そこから少し離れた所に地蔵田と呼ばれる地名が残り、かつては地蔵が祀られていたという。四、五年前には正安の碑があり、村人が願をかけると叶えられて、いつもお礼参りの馳走が供えられていた。また地蔵田の前の道は今も飯塚道と呼ばれているが、地蔵に飯を供えるときに通った道なので飯塚道というのだと伝えられている。
原典より
西田町丹伊田に、天沢寺という寺があったころ、鐘撞田と一緒に賜った水田で、今も地蔵田と呼んでいる。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。