熱海の切払から高玉へ移った常円寺
どんな伝承か
大同二年、陸奥国に下った徳一上人は熱海の切払に小さな堂を建て、自ら刻んだ虚空蔵菩薩の座像を本尊としたという。寺はのちに山崎の谷の奥へ移り、さらに高玉太郎左衛門の信仰を得て、高玉城の南の窪地へ移されて高玉常円寺と称した。江戸時代の天保のころ、大風で堂が倒れ、北梨子平の山側に再建されたが火災に遭い、古い記録は失われた。常頼の位牌や石塔も、のちに会津田代の荒井定高が納めたものと伝わる。明治に入ると寺に学校が置かれ、校舎が建って学校が移ったあとも、青年たちの夜学の場として、月謝を取らずに程度の高い学問が教えられていたという。
原典より
大同二年、陸奥国に来た徳一上人は、熱海の切払に小さな寺を建てた。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。