あぶないと歩く者が示した土釜
どんな伝承か
逢瀬川はかつて土手が粗末で、雨のたびに岸が欠け、大水になると畑まで流された。ある年のこと、日が暮れると毎晩、あぶないあぶないと声を上げながら町の道を下から上へ歩いていく者があった。正体は誰にも分からず、人々は気味悪がって早々に戸を閉ざして寝たという。増子という家の主人がその者のあとをつけたところ、姿は川の土手で消えてしまった。翌朝早くそこへ行ってみると、赤木神社の土手が崩れ、土に埋もれていた釜の中から大判小判が半分ほど川へこぼれかけていた。虎丸長者の埋めた金かどうかは分からぬまま、主人は喜んで拾い集めて持ち帰り、その家は大金持ちになったと伝えられている。
原典より
昔、逢瀬川は、今のように立派な土手がなかったから、雨が降るたびに岸が崩れて、大雨のときは、畑が流された。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。