鳴物禁断を破った償いの盆河
どんな伝承か
盆河は逢瀬川の中の一部で、濁川と中の目寄りの瀬が合流するところより少し下流、五斗蒔田のあたりをいう。慶応年中、領主の二本松少将勝衛が死去したとき鳴物禁断が布令されたが、たまたま盆会にあたり、村の若者がこの禁制を犯して笛や太鼓で歌舞した。名主がこれを聞きつけ——このとき名主の矢吹善左衛門は出張しており、せがれの文之亟が留守居であった——ただちにやめさせ、その罪の償いとして、蛇行して流れの悪かった川に工事をさせ、流路を直させたのである。盆に工事をしたことから、俗に盆河と呼ぶようになったという。
原典より
盆河は逢瀬川の中の一部で、濁川と中の目よりの瀬と合流するところより少し未流の五斗蒔田の辺をいう。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。