刻を知らせた鐘撞堂の跡
どんな伝承か
郡山駅から、さくら通りの八幡坂をのぼったあたりに、昔、芳山小学校があった。その地を字鐘堂といった。昔、そこには鐘撞堂があって、朝夕、農民に刻を知らせるために鐘を撞いたところと伝えられている。時を告げる堂の名が、そのまま土地の字名として残った話である。
原典より
郡山駅から、さくら通りの八幡坂をのぼると、昔、芳山小学校があったが、その地を字鐘堂といった。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。