蝦夷の砦と伝わる和田の金窪柵
どんな伝承か
上和田に金窪柵というものがあったと言われている。おおよそ今の窪の辺りと思われる。この辺りは一千年ほど前、館も城もなく、柵というものを造って敵の防備に当てていた。「ういたむの柵」や「出羽の柵」などがそれで、金窪柵もその類であったろうと思われる。その金窪柵には、夷の紫磨の手下に金窪兵大という剛の者がおり、非常に勇猛で良民を苦しめ、朝廷に反抗した。朝廷はしばしば攻めたが、敵は地の利を知ってよく戦うのでなかなか滅ぼせず、かえって不利な場合が多かった。そこで藤原氏の援軍を得て攻め寄せ、ついに討ち滅ぼすことができた。後に伊達政宗の家臣、二宮隼人恒氏がここに館を構えたという。
原典より
上和田に金窪柵と云うのがあったと云われております。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。