泉岡と相森が建てた松岩院と蝦夷塚
どんな伝承か
高畠町泉岡の松岩院は、泉岡・相森の両部落で建立したという記録が残る。昔は両部落が一円地となっていたためらしい。東部泉岡の北には蝦夷塚があり、この地名は数町にわたる。明治時代に古墳が発掘され、土器や石器が出土した。土器二個は祝部式で、土地の人々は「次郎鉢」「太郎鉢」と呼んでいる。さらに泉岡と相森の中間、阿弥陀堂のあたりを「七兵衛屋敷」と呼び、かつて「矢倉下」と称する所もあったことから、この辺りは豪族の居住址と考えられている。
原典より
泉岡の松岩院は泉岡・相森の雨部落で建立したという記録があります。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。