神田明神を勅免へ導いた烏丸光広
どんな伝承か
江戸幕府の書き上げ『幕府御城日記』によれば、寛永二年、勅使として江戸へ下った烏丸大納言光広卿が神田の須田町を通り、竹垣をめぐらせた古い社に目をとめた。神主の芝崎宮内勝吉を呼んで由来を問うと、祀られているのは平将門の霊で、勅勘を蒙った人であるため七百年あまり開帳もできず、祭りも満足に営めないと答えた。光広卿は、朝敵の名は高くとも年月は隔たり、すでに神として崇められている以上はばかることもない、勅免を得て八所御霊にならって祀れば国家の鎮守にもなろうと述べ、京へ戻ってから奏上して勅免を取りはからったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。