野火を薙ぎ払った草薙の剣
どんな伝承か
伊豆を平らげた倭建命の軍が相武の国に入ると、国造は蝦夷の頭目が住む沼があると偽って命を広い草原へ誘い込み、仲間の蝦夷に四方から火を放たせた。冬枯れの野で炎に囲まれた命は、伊勢で倭姫に託された皮袋を思い出して開き、中に火打を見つけた。命は剣で足もとの草を薙ぎ払って束ね、火打で火をつけて迎え火とし、危機を逃れると逆に国造らを討ち取って焼いたという。この時から天叢雲剣は草薙の剣と呼ばれ、焼津の地名もここから生まれたとされる。静岡県の焼津とする説も有力だが、著者は弟橘姫の歌を根拠に厚木市小野を舞台と考えている。
原典より
とっさに建は腰に帯びていた宝剣を抜き放ち、足もと一帯の草を薙ぎ払い束ねて置いて、これに火打で火をつけた。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。