夷堂の辻に立つ日蓮の辻説法
どんな伝承か
猿島から鎌倉に入った日蓮は、名越の松葉ヶ谷に小さな草庵を結び、毎日町へ出て小町の夷堂の辻に立ち、道行く人々に説法をした。これが名高い日蓮の辻説法で、今はその地に碑が建てられている。当時の日蓮は粗末な衣をまとった乞食坊主同然で、念仏・真言・禅・律を激しく攻撃し、法華経こそが正法だと説いて、興味を示した者を追いかけてまで改宗を迫ったという。そのため人々から罵られ石を投げられ、草庵を追われて宿を貸す者もなくなったが、岩室に寝てでも辻に立ち続けたと伝わる。
原典より
こうして鎌倉入りした上人は、名越の松葉ヶ谷に小さな草庵を営み、そこから毎日町に出でて、小町の夷堂の辻に立って通行の人々に説法をはじめた。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。