佐渡赦免と蒙古退散の諫言・身延隠棲
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どんな伝承か
佐渡に流されていた日蓮は、蒙古との関係が緊迫するなか二年半で赦され、文永十一年(一二七四)春、三たび鎌倉に戻った。執権北条時宗に「蒙古は今年中に必ず攻め寄せる。邪宗を禁じ法華経に帰さねば日本は蒙古の軍勢に蹂躙される」と三度目の諫言をしたが容れられず、「我れ日本の柱とならん」と念じて駿河国身延山へ隠棲した。果たしてこの年十月十九日、蒙古の大軍が博多の海に押し寄せた。文永の役である。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・昭和五十年(1975)刊)
小森良章『神奈川の史実と伝説』(昭和50年=1975刊)を、史実につながる伝説十一篇を節単位で全59事例として収録。
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鎌倉市の伝承
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