円応寺の閻魔大王
どんな伝承か
建長寺の向かい、巨福呂坂の上にある円応寺は新居の閻魔堂と呼ばれ、本尊の閻魔大王像は運慶の作と伝わる。晩年の運慶は病で仮死の状態に陥り、賽の河原と三途の川を越えて地獄の門をくぐった。恐る恐る閻魔大王の前に進むと、大王は意外にも優しく、世間は自分を血も涙もない者と思っているが実は生前の善悪を裁く正義の裁き手だと語った。そして自分の姿をよく見ておけ、この世に帰してやるから見たとおりに彫って人々に見せよと命じた。言い終わると運慶は息を吹き返し、その記憶をもとに刻んだのがこの閻魔像だという。
原典より
石老山の源海上人(津久井郡相模湖町) 一八九五反田のおとめ地蔵(愛甲郡伊勢原町) 二一〇—— 神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年))
『神奈川の伝説』は、読売新聞社横浜支局が一九六七年に編んだ神奈川県内の伝説集である。読売新聞神奈川県民版に昭和四十年九月から四十二年八月まで八十回連載された「神奈川の伝説」のうち六十五回分を収め、文は谷川平夫記者が書き、伝説の地を訪ねて住職や古老に聞いた話と現在の様子を添える。樹木・石・塚・水・坂や島・屋敷址・社寺・禁忌・地名の部に話を分け、大藤時彦の序文と巻末の解説・索引を付ける。