青砥藤綱と地下人の礼金
どんな伝承か
鎌倉幕府の引付衆だった青砥左衛門尉藤綱は、執権北条時頼・時宗に仕えた質素で剛直な武士として知られる。あるとき身分の低い地下人が執権を相手取って土地の訴えを起こし、藤綱は地下人の言い分を正しいと認めて執権側を負けにした。勝った地下人はお礼に銭三貫文を俵に詰め、こっそり藤綱の屋敷に運び込んだ。いわば賄賂である。これを知った藤綱は大いに怒り、正しく裁いたのは執権のためを思えばこそで、お前をひいきしたのではないと言って、わざわざ遠い田舎まで銭を送り返させたという。藤綱の屋敷跡は鎌倉市浄明寺にあると伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年))
『神奈川の伝説』は、読売新聞社横浜支局が一九六七年に編んだ神奈川県内の伝説集である。読売新聞神奈川県民版に昭和四十年九月から四十二年八月まで八十回連載された「神奈川の伝説」のうち六十五回分を収め、文は谷川平夫記者が書き、伝説の地を訪ねて住職や古老に聞いた話と現在の様子を添える。樹木・石・塚・水・坂や島・屋敷址・社寺・禁忌・地名の部に話を分け、大藤時彦の序文と巻末の解説・索引を付ける。