青砥藤綱と裸川
どんな伝承か
鎌倉幕府の引付衆青砥左衛門尉藤綱は、執権北条時頼・時宗に仕えた廉直な武士として知られる。ある秋の夕暮れ、藤綱は鎌倉の滑川に銭十三文を落とした。たとえ小銭でも天下の財を失ってはならないとして、人夫を雇い松明を買い、多額の費用をかけて川底を探させた。すると機転の利く人夫が、自分の腹巻きの銭を川から拾ったふりをして差し出し、酒代の褒美を受けた。ところが家に戻ると、落としたのは実は十一文だったと分かり、翌日呼び出された人夫はすべて白状した。藤綱は罰として十一文が出るまで裸で川をさらわせ、見つけ終えたのは桜のつぼみがほころぶころだった。以来滑川を裸川と呼ぶという。
原典より
弘法大師と水無川(秦野市・中郡西秦野町) 八八尼将軍と化粧井戸(横浜市南区井土ヶ谷上町) 九六—— 神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年))
『神奈川の伝説』は、読売新聞社横浜支局が一九六七年に編んだ神奈川県内の伝説集である。読売新聞神奈川県民版に昭和四十年九月から四十二年八月まで八十回連載された「神奈川の伝説」のうち六十五回分を収め、文は谷川平夫記者が書き、伝説の地を訪ねて住職や古老に聞いた話と現在の様子を添える。樹木・石・塚・水・坂や島・屋敷址・社寺・禁忌・地名の部に話を分け、大藤時彦の序文と巻末の解説・索引を付ける。