三七日の追善と西明寺の地名
どんな伝承か
鎌倉幕府の執権だった北条時頼は、家督を譲って最明寺で髪をおろし、諸国をめぐる旅に出たと伝えられる。津軽で、かつて寵愛した舞姫唐糸の死を知り、その供養をしながら歩いた。大館に入ったのが死から七日目にあたるので一七山釈迦堂を建て、秋田へ着いた二七日には笈に負ってきた秘蔵の仏像を安置して菩提を弔い、これが二七山光明寺だという。そして三七日めに行き着いたのが仙北の地で、ここには三七山光明寺がある。西明寺という地名は、この最明寺時頼にちなんで付いたものだと伝えられている。
原典より
鎌倉幕府の執権北条時頼は、家督をゆずって最明寺で出家し、諸国巡行の旅に出て、津軽でかつての愛妾唐糸の舞姫の死にめぐりあったという。—— 日本伝説大系 第2巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第2巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第2巻』は、岩手・宮城・秋田の三県に伝わる伝説を話の型ごとに集めた伝説資料集である。山の争いや沼の主の手紙、巨人の足跡、八郎太郎、ザシキワラシ、河童、掃部長者などの伝説を、口承の聞き書きと近世以降の地誌・縁起から採る。凡例のとおり各項は伝承地を示した例話を冒頭に据え、〔類話〕〔文献〕〔参考〕を続け、柳田・高木による話型名を添えた項もある。