鵜坂
どんな伝承か
栃木県佐野市閑馬に伝わる。足利義兼は侍女藤野の讒言を信じて忠綱を憤死させ、妻の時子は腹を裂かれて非業の死を遂げた。藤野を牛裂の極刑にしてはじめて夢から覚めた義兼は、剃髪して仏門に入り、諸国を行脚して菩提を弔った。なお心の安住を求めた義兼は、ある夏の日、従者に黄金のさしこを持たせて遠原の里へ遊山に出かけ、小川のほとりで清水にのどを潤し、うとうとと眠り込んだ。夢の中で籠の鵜に問うと、鵜は立派な籠にいるより広い野山を自由に飛ぶ方がよいと答えた。はっと目覚めた義兼は心の悩みが晴れ、悟りの境地に至って鵜を放してやった。後に人々はここを鵜坂と呼ぶようになったという。
原典より
足利義兼は、侍女藤野のざん言を信じたために忠綱を憤死させ、妻時子は腹を裂かれて非業の死を遂げ、藤野を牛裂の極刑にしてはじめて夢から覚め、剃髪して仏門に入り諸国を行脚して菩提を弔った。—— 田沼町史 第1巻(田沼町) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
田沼町史 第1巻(田沼町)
『田沼町史 第1巻』は、田沼町が編んだ町史の一巻のうち、伝説の節の大半とことわざの節の冒頭を収めたものである。蛙鳴かずの池や京路戸山の大蛇などの怪異の話、唐沢山城の佐野氏や藤原秀郷、足利忠綱にまつわる話、義民の山神や源十郎石祠、根本山神社などの寺社縁起を、町内の各地に即して記す。伝説は英雄偉人・義民・地名・落人・寺社縁起などの項に分け、ことわざの節は五十音順に並べるが、いの項の途中で切れている。