堀越の十三塚の祟り
どんな伝承か
小倉南区堀越の西の端、志井と接する小高い場所に、土饅頭の塚が十二並んでいる。今は十二しか残っていないが、昔は「堀越の十三塚」と呼ばれ十三あった(県指定有形民俗文化財)。戦国時代(一四六七〜一五七三)、堀越城主の堀越太郎が毛利の軍勢に攻められ、最後まで残った十二人の部下とともにこの地で死んだといい、十三塚はその十三人の墓だとされる。中央の塚は左右のどの塚よりも大きく高く、上には「堀越太郎義長之墓」と刻んだ石碑が建つ。墓の形は後世のものだが、地区では塚に上ったり汚したりすると祟りがあるといって丁重に扱っている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
北九州市史 民俗(北九州市・北九州市史)
『北九州市史 民俗』は、北九州市が編んだ市史の民俗編である。ここに収めるのはその第三編「信仰伝承」第一章「信仰」の第二節以降で、門司・小倉・若松・八幡・戸畑の各区に伝わる聖地と忌地、神仏信仰、神事と法会、巡礼、巫者・祈禱師、信仰集団、狐憑きや犬神などの憑霊・霊異現象を記す。節ごとに地区と地名を挙げて事例を並べる編み方で、祟る石や産女石、落人の墓なども忌地の項に見える。