慈光寺の小僧の母を葬った比丘尼塚
どんな伝承か
ときがわ町西平の慈光寺の裏山道に沿って比丘尼塚がある。慈光寺を開いた広慧がまだ丹仁と呼ばれる小僧だったころ、わが子の身を案じた母は、女人禁制で山に登れないため尼の姿となり、小川から古寺を通って山に入った。苦労の末に丹仁に会えたものの、母も子も声が出ず、二人は言葉を交わさないまま別れた。その後、母は山中で病に倒れて亡くなり、丹仁が葬ったのがこの塚だという。別の伝えでは、埼玉村から修行に来ていた小僧円澄の母が、髪を切って山を登る途中で雷雨に打たれて死に、円澄が供養のために築いた塚ともいう。塚はいまは荒れ果て、上には庚申塔などが立っている。
原典より
この母を丹仁が葬ったのが、慈光寺裏山道にそってある比丘尼塚であるという。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。