成田氏長が妻と別れた忍城の縁切橋
どんな伝承か
行田市忍の縁切橋は、忍城の内で上荒井から片矢場へ通じる堀に架けられていた橋で、いまの城西町にあたるが、もう橋の形はとどめていない。由来は書物によって少しずつ違う。『増補忍名所図会』は、成田氏長が小田原へ出陣するとき奥方や家臣と別れを惜しんだ所とし、嫁ぐ者はこの橋を渡るのを忌むと記す。『北武八志』は、天正十八年の落城の際に一人の部将が刀を折って武士を捨てると誓い泣きながら去った所とする。『行田史譚』は、天正元年に成田氏長が政略で離縁し、二歳の甲斐姫を残して去る妻と別れを惜しんだ橋だとしている。
原典より
『行田史譚』は、戦国の習いで、政略離婚となって去って行く妻女との別れを惜んだ橋という説をとっている。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。