罪人との別れに涙した中山道の涙橋
どんな伝承か
大宮市大宮の涙橋は、天保の絵図に字下町の石橋として載る、中山道の往還の悪水路に架かる橋である。伝えでは本来の名は中橋といったが、高台橋に刑場があったころ、処刑される人の親類や縁者はこの橋まで罪人を見送ることが許されていて、ここでこの世の別れの涙を流したので、いつしか涙橋と呼ばれるようになったという。いま中山道のわきに涙橋の碑が立っている。なお新聞の特集記事は、涙橋とはいまの高台橋のことだとしている。
原典より
伝えによると、この橋は「中橋」というのだが、高台橋に刑場があったころ、処刑される人の親類縁者達が、この橋まで罪人を見送ることを許されており、…—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。