不受不施派守玄院の流罪
どんな伝承か
書き判を許された流人の中には医者と僧侶がいた。医者はごく少なかったが出家は多く、天和三年に但馬出石・奥州会津・羽州庄内の三僧が送られて以来、百八十人近くが帳面に名を留めている。修験僧や普化宗の薦僧も混じり、近ごろの僧の罪名はたいてい女犯であった。不受不施派の日蓮宗が流された例は、宝永六年八月の船で守玄院と弟子の元昌が来た一件だけである。島でその教義を守り通すのは容易でなかったはずだが、この僧は二十年あまりも露命をつないで果てた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。