遊女豊菊の抜舟と死
どんな伝承か
新吉原の遊女は一人ずつ、七度ほど八丈島へ流されている。罪名の記されている三人はいずれも火付けであった。豊菊はその最初で、文政四年の春に送られ、島で丸二十五年の苦界を勤めたのち、弘化二年六月に抜け舟を企てた。企てには浄土宗の僧宝禅、小普請組の幕士阪本茂三郎、ほかに三、四人の博徒が加わっていたが、沖合で召し捕られ、豊菊は十一日目に死んでいる。加担した者も半分は沖で死に、残りは吟味の最中にみな死んだ。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
柳田国男編『定本柳田国男集 第1巻』を全451話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。