元禄大凶年の流人餓死
どんな伝承か
餓死と帳面に書き留められた流人も、昔は少なくなかった。百姓として初めて八丈島へ流された武州石神村の七郎右衛門と伝蔵は、十五年ほど島にいて元禄十四年の春に相次いで餓死している。八丈年代記によれば前の年は大凶年で、たびたびの大風に麦が荒らされ、救助の船も間に合わずに島の住民が大勢死んだ。流人がその難に巻き込まれて死んだのは、裏を返せば平素は島人に助けられていたということでもある。この冬から翌年にかけて、餓死した流人は十人を越えた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。